入間地区医師会の沿革

明治
明治40年頃 医師会としての活動が始められる
大正
大正8年 入間郡医師会(現入間地区医師会)創立
大正11年12月 川越市医師会分離独立
昭和
昭和15年 坂戸市の吉川英氏、埼玉県医師会長に就任
昭和22年11月 社団法人入間郡医師会創立認可される
昭和27年4月 入間郡医師会より入間地区医師会となる
昭和27年6月 所沢市医師会分離独立
昭和28年4月 入間地区医師会立毛呂山准看護学校開校
昭和42年4月 狭山市立衛生学院(現狭山准看護学校)開校
昭和43年12月 年末年始にかけ長期一斉休診運動
昭和45年4月 創立50周年記念式典を開催
昭和46年7月 1ヵ月月間保険医総辞退診療が始まる
昭和47年4月 埼玉医科大学開校
昭和52年5月 飯能地区医師会立休祝日診療所開設
昭和55年7月 飯能地区医師会立夜間診療所開設
昭和56年3月 飯能地区医師会立飯能准看護学校開校
昭和56年11月 川医会分離、川越市医師会に編入
昭和58年4月 飯能地区医師会分離独立
昭和58年7月 狭山市休日診療急患センター開設
昭和59年11月 社団法人入間西部医師会設立
昭和61年4月 入間西部医師会立入間准看護学校開校
昭和63年1月 東入間医師会休日診療所開設
平成
平成元年4月 創立70周年記念式典を開催
平成2年4月 坂戸鶴ヶ島医師会立看護専門学校開校
平成2年4月 坂戸市休日急患診療所開設
平成2年4月 入間看護専門学校開校
平成4年4月 入間西部医師会が分離し、社)狭山市医師会、社)入間市医師会になる
平成4年4月 入間市医師会立入間准看護学校に名称変更
平成5年4月 狭山市衛生学院より移管され、狭山市医師会立准看護学校となる
平成6年4月 東入間医師会分離独立
平成11年4月 坂戸鶴ヶ島医師会立訪問看護ステーション「さつき」開設
平成11年4月 狭山市医師会立訪問看護ステーション開設
平成11年4月 毛呂山病院看護専門学校開校
平成15年2月 入間地区医師会事務所坂戸市から入間市豊岡1-13-5に移転
平成15年4月 入間市医師会事務所入間市健康福祉センター内に移転
平成20年4月 狭山市医師会、坂戸鶴ヶ島医師会分離独立
平成20年4月 入間地区医師会事務所入間市健康福祉センター内に移転
平成24年6月 入間市医師会と入間地区医師会合併
平成26年4月 一般社団法人入間地区医師会へ名称変更

入間地区医師会歴代会長

氏名 地区 年数
初代会長 吉川 英 坂戸市 大正8年度~昭和17年度
二代会長 小室 太一 飯能市 昭和23年度~昭和24年度
三代会長 斉藤 公平 所沢市 昭和25年度~昭和26年度
四代会長 小室 順平 入間市 昭和27年度~昭和30年度
五代会長 石井 三郎 飯能市 昭和31年度~昭和34年度
六代会長 石井 尊史郎 飯能市 昭和35年度
七代会長 村上 昇 狭山市 昭和36年度~昭和40年度
八代会長 安田 重信 三芳町 昭和41年度~昭和60年度
九代会長 寺師 正典 入間市 昭和61年度~平成5年度
十代会長 関根 迪弌 坂戸市 平成6年度~平成13年度
十一代会長 原田 雅義 入間市 平成14年度~平成19年度
十二代会長 澤田 壽一 入間市 平成20年度~平成25年度
十三代会長 小室 順義 入間市 平成26年度~

※昭和22年11月社団法人入間郡医師会として認可され、斉藤公平氏が創立に尽力された。